シンドラーの家
入口の向かい側の壁には、見事な暖炉がある。客人に応対するこの場所は、ホールよりも親密感がある空間になっており、黄色のカララ大理石で仕上げられている。全体的に、応接の間はシンプルで余計な装飾はなく、機能的なモダニストスタイルの精神と一貫している。 この部屋には、当初はマレ=ステヴァンスによるデザインの家具が置かれていた。フランス国立モニュメントセンター(歴史的建造物を保存・修復する機関)は、邸宅のオリジナル家具を買い戻すため、12月に開かれたサザビーズの大規模なオークションに参加した。この結果、かつて大きなリビングルームを飾っていたウォールナット材のアームチェアとテーブルも、もうすぐもとの居場所に戻ってくる予定だ。
カヴロワ邸は、北フランスの裕福な実業家ポール・カヴロワのためにロベール・マレ=ステヴァンスが設計したモダン建築の名作だ。マレ=ステヴァンスは、20世紀初頭にル・コルビュジェと並び活躍した近代建築の旗手で、先進的な視点の持ち主だった。それだけに、1932年に完成した「モダンな城」とも言うべきカヴロワ邸は、時代の先を行っていたようだ。そしてこの邸宅には、稀有な復活の物語がある。 カヴロワ邸の黄金時代は1930年代。その後、第二次世界大戦中にはドイツ軍が接収し兵舎として利用。戦後は、2つの世帯に分割して再びカヴロワ一族が住むようになった。1980年代、ポール・カヴロワに先立たれていたルシー夫人が亡くなると、邸宅は不動産業者に売却された。家具もばらばらに売り払われ、建物は荒れ果てた状態になってしまった。 カヴロワ邸が奇跡的にも復活したのは、ひとにぎりの熱意ある地域住民と建築家たちが、邸宅を買い取って修復するように国に働きかけた結果だ。修復にはおよそ2,300万ユーロがつぎ込まれ、綿密な復元作業が12年近く続いた。そしてついに2015年6月、一般公開にこぎつけたのだ。 それでは、この素晴らしいモダニスト建築の内部を見てみよう。 名作住宅の記事をもっと読む Virginie Rooses Photographe 保存 メール 「[建物の]役割は、その美しさで住む人の生活を楽しく幸せにするだけではない。外を通る人が足を止めて、そのたたずまいや調和のとれたフォルムを眺めたときに、ふと喜びや完璧さを感じるものであるべきだ。」 ―ロベール・マレ=ステヴァンス どんなHouzz? 竣工当時の所有者:裕福な事業家で、この地方に5つの織物工場を経営し700人を雇用していたポール・カヴロワ。1932年、妻のルシー、7人の子どもたちとともに広大な緑地に囲まれた邸宅に引っ越してきた。大胆な建築にショックを受けた地元住民や保守的な北部の事業家たちは、この邸宅を「黄色いクルーズ船」「黄色の災い」「カヴロワの愚行」などと呼んでいた。 所在地:北フランス、ルーベ近郊にある裕福な町、クロワ 建設期間:1929~1932年 規模:3,800平方メートル。1,840平方メートルの居住空間と830平方メートルのテラスを含む。母屋のファサードは全長60メートル。加えて17,600平方メートルの庭園がある。 建築家:設計とコンセプト…ロベール・マレ=ステヴァンス。改修…ミシェル・グタール(歴史的記念物主任建築家)とベアトリス・グランサール。 庭園の改修:造園家 アリーヌ・ル・クール 改修期間:2003~2015年 改修費用:2,300万ユーロ 注目ポイント:国がこの邸宅を2001年に買い上げて改修計画が進み始めたとき、記録も図面も残っていなかった。マレ=ステヴァンスが遺言ですべての記録を燃...
棚にはふたりが一緒に暮らし始めてから、そしてそれ以前からの思い出の品がディスプレイされ、いつも新しく入れ替わっている。 「ここにあるのは私たちにとってとても特別なものなんです。旅行や友達の思い出、プレゼント、家族から受け継いだもの、買ったアート作品、友達の作った作品、みんなと過ごした時間を思い出させてくれるもの……」とニキタスさん。「よくホームパーティーを開くんですが、15人くらい集まるときには何かちょっとしたものをそれぞれ持ち寄ってもらいます。クリスマスとかバレンタインとか、そのパーティーのテーマに沿ったものを、人数分用意してもらうんです。例えば、ここにあるのは、4歳の子供がつくってくれたビーズ細工もあるし、他には、ピーナツに糸を通してつないでグリッターで目を描いたものとか、厚紙の箱に「Free Kiss」ってメッセージを書いたのもあります」
居住者:カリ・ニキタスさんとリチャード・シェルトンさん、プードルのラヴィとラッキー・スカウト 所在地:ロサンゼルス、イングルウッド 規模:延床面積97平方メートル、ベッドルーム×2、バスルーム(トイレ含む)×1 竣工年:1937年 外観からも、大きく突き出た構造や横長の広い開口部分など、シンドラーの提唱した「フレーム」理論7原則の要素が見て取れる。傾斜地を平らに整地するのではなく、傾斜を活用して建てるテクニックも見て取れる。「外壁は塗りませんでした。塗るつもりだったんですが、そのままのスタッコ壁を残すことを勧められたので」とニキタスさん。 保存 メール 前庭は、対になっている右側のシンドラー住宅と共用だ。ファッションデザイナーのオナ・アーリック=ベルさんとプロダクトデザイナーのジョエル・ベルさんは、アーリック=ベルさんの父親で建築家のスティーヴン・アーリックさん(〈EYRC アーキテクツ〉)の助けを借りてこの家を細部まで修復した。干ばつに強いカリフォルニア風の庭は、造園家のスティーヴン・ハマーシュミットさんによるもの。 当時、真のボヘミアンだったシンドラーは、代表作であるキングスロードの自邸でも別の夫婦世帯との共用スペースを設けていた。その精神を受け継ぎ、こちらの2世帯の間も交流が深い。「家の設計とレイアウトのおかげで、しょっちゅうお互いを見かけたり話したりする機会があるんです」とニキタスさん。「共用スペースでつながって、ひとつの大きな家族みたい。こうなった要因は、間違いなく建築にあると言えますね。」
「インターネットの仲介サイト、クレイグズリストの見出しには『モダン建築。環境最高』とだけ書かれていたんです」とカリ・ニキタスさんは言う。興味をひかれてクリックすると、それはなんと、ミッドセンチュリーの有名建築家、ルドルフ・M・シンドラーが設計した第二次世界大戦前の建売住宅だった。ロサンゼルスのイングルウッド地区にある住宅をオーナーが売りに出していたのだ。 ニキタスさんと夫のリチャード・シェルトンさんはふたりともオーティス美術デザインカレッジに勤務しており、キャンパス近くに新しい住まいを探していたところだった。不動産サイト〈MLS〉で探し続けて何か月も収穫がなかったある日、ニキタスさんはふと思いついてクレイグズリストを見てみた。「きっと運命だったんですね。オーナーと午後2時に話して、その日の4時には内見したんです。新居の鍵を自分のものにするまで、わずか3週間でした」とニキタスさん。短期間で楽な取引だったが、手に入れたのはまさに宝物。ロサンゼルスの先駆的な建築家、シンドラーが設計した家で、しかもこの地域でわずか3軒のうちのひとつだったのだ。シェルトンさんいわく、「信じられませんでした。ふたりともずっとシンドラーのファンだったけど、自分たちがその家を手に入れるなんて夢にも思ってませんでしたから。」
ダイニングルーム 夫妻用のダイニングルームの床と壁は、スウェーデン産の緑色大理石で仕上げている。オリジナルの大理石を供給した採石場が今も稼働しており、同じ模様を再現するためそこから輸入した。 時代の最先端を行く邸宅には、照明技師アンドレ・サロモンの手により、かつてない規模の人工照明が取り入れられた。こちらの部屋の天井には、間接正面のため2本の反射器具が取り付けられている。 窓の反対側の壁に取り付けられた鏡が、光を増幅してくれる。また、窓に背を向けていても庭の景色を見ることができる。
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